1.はじめに
表面処理やコーティングなど,ナノ~マイクロスケールの構造の機械的特性は材料特性発現に大きな影響を与える場合が多い.そのため,それらの把握は極めて重要であるが,引張試験・ビッカース硬さ試験など汎用的に使われている機械的特性の評価手法を活用するのが試料サイズの点で困難である.そのため,ナノインデンターを用いた微小領域の機械的特性評価手法が幅広く利用されている.ナノインデンターはナノ~マイクロスケールの領域で材料の硬さ・ヤング率・密着強度・耐摩耗性・破壊靭性など幅広い機械的特性を定量的に評価できる装置であり,主に試料に対し圧子を押し込んだ際に得られる荷重と変位の情報から機械的特性を評価する.
本稿ではブルカーが昨年リリースしたナノインデンター最新機種を軸に,主に表面処理やコーティングに対し有効な評価手法や評価事例について述べる.
2.ナノインデンターについて
ナノインデンターはナノ~マイクロスケールの領域で正確に測定箇所を狙い,機械的特性を定量的かつ安定的に評価するために,低ノイズ,低ドリフトの構造となっている.この章ではナノインデンターの構造とその機能について紹介する.
2.1 Hysitron TI 990 TriboIndenter
Hysitron TI 990 TriboIndenterは2023年10月ブルカーがリリースしたナノインデンターの最新機種である.装置外観を図1に示す.この装置を用いてナノインデンテーション・ナノスクラッチ・ナノDMA・高速マッピング測定・SPMイメージング機能など様々な評価を実施することが可能である.これらの測定手法についての詳細は後述する.本装置の内部構造について図2に示す.ナノスケールの試験を実施するため,除振機構やエンクロージャーが実装されている.また,新しい装置コントローラーPerformech III,高度なフィードバック制御モード,次世代nanoDMA IV動的ナノインデンテーション技術,XPM II高速機械特性マッピング技術など,測定および解析プロセスのあらゆる面で最新技術を採用している.なお,試料ステージが広いことも特徴の一つであり,エンジン・シリンダーライナー・300mmウエハなどの大型試料を搭載して測定することができる一方,DLCなどの薄膜コーティングに対し,浅い領域での試験も対応できる柔軟性を備えた装置である.


2.高解像度のカラー光学系
3.特許技術の低ノイズ2D静電容量型トランスデューサー
4.装置の安定性をもたらす剛直な花崗岩フレーム
5.アクティブ防振システム
6.Performech III コントローラー
7.ノイズ耐性が50倍向上した振動減衰ベース
8.多層構造の環境エンクロージャー
9.サンプルチャックのトップビューカメラ
10.XPM II 超高速ナノインデンテーション機能による特性マッピング
11.動的ナノインデンテーション
12.将来的な拡張を可能にするカスタマイズ式のパネル
13.ユニバーサルサンプルチャック
14.従来に比べ試験可能エリアが60%増加した,高精度の電動ステージ
2.2 静電容量型トランスデューサー
ブルカーのナノインデンターでは,押し込み試験を行う測定ヘッドに静電容量型トランスデューサーを用いている.このヘッドは図3に示す通り,静電プレートを3枚平行にならべ,中央のプレートを静電気力で作動させている.静電容量型のトランスデューサーのメリットとして,他のナノインデンターや押し込み試験機のヘッドに採用されている電磁コイル式などの制御機構に比べ,印加する電流が少ないため,電流による発熱などによる測定系のドリフトが生じにくい点が挙げられる.また,ヘッドの質量が小さいため,荷重・変位の変化に対する感度と反応速度が上がり,低荷重領域で安定した信頼の高い測定が可能なこともメリットである.

2.3 SPMイメージング機能
SPM(scanning probe microscopy)イメージング機能は図4のように,トランスデューサーに取り付けられている圧子をピエゾスキャナーにより動かし,試料表面をなぞることで表面形状像を取得する機能である.ブルカーのナノインデンターはこの機能を標準搭載している.観察した表面形状像を元に測定位置を指定することで,光学像から測定位置を指定するのに比べ,高い測定位置精度が実現できる.また,試験前後の材料変形挙動の観察や粗さの計測も可能である.

2.4 環境制御技術
ブルカーのナノインデンターでは,加熱/冷却ステージを用いることで最高温度800℃/最低温度-120℃での測定が可能である.また,湿度に敏感な試料に対しては調湿ステージの利用により,湿度に対する材料の特性変化を評価することもできる.これらの機能は試料を上下2枚のプレートで挟み込み,上下両面のヒーター・温度センサーにより試料温度を制御するブルカー独自のxSol ステージにより実現している.xSolステージの構造を図5に示す.一般的なホットプレート型の温度制御の場合,試料の下面からのみ加熱されるため,試料上面の温度が安定せず,ドリフトの原因となっていた.しかし,xSol ステージでは上下両面から加熱,温度制御を行うことで,測定時の温度を安定的に保ち,低ドリフトでの測定を実現している.図6にサファイアを600℃で押し込み試験をした際の変位のデータを示す.2分間荷重保持した状態でドリフトの影響なく約38nmの押し込み深さにて安定的に保持できていることから,装置の安定性がわかる.なお,大気非曝露が必要な試料のために,ナノインデンターをグローブボックスに組み込むことも可能である.


3.ナノインデンターを用いた評価技術
この章ではナノインデンターの評価技術の中で代表的なものについて紹介する.
3.1 準静的ナノインデンテーション
準静的ナノインデンテーション試験は,幾何学的に形状を校正された圧子を用いて,試料に対し負荷を加えたり,取り除いたりすることによって行われる試験である.試験中,試料に荷重が加えられたときの変位(押し込み深さ)が連続的に取得され,荷重変位曲線を得る.この荷重変位曲線から計算により,硬さ・ヤング率の値を算出する.また,破壊靭性・剛性・クリープ性・密着性など他の情報も得ることもできる.具体例として,溶融石英に対し,準静的ナノインデンテーション試験を行った際に得られた荷重変位曲線と試験後に認められた圧痕の形状像を図7に示す.

なお,準静的ナノインデンテーション試験では一般的にバーコビッチ圧子といわれるダイヤモンド製の三角錐の圧子(プローブ)を使用する.ダイヤモンドを加工しバーコビッチ圧子を作成する際,圧子の先端を完全な三角錐のようにナノスケールでとがらせることは加工技術上困難であるため,実際の圧子は完全な理想形とはならない.そのため,弾性率が既知である材料を用いて,圧子の形状を校正した後に試験に使用することで定量的な測定結果を得ている.
3.2 ナノスクラッチ
ナノスクラッチはその名の通り,ナノスケールでスクラッチ試験を行う手法である.垂直方向および水平方向の荷重と変位をそれぞれ測定できるヘッドを用いることで,薄膜密着性,摩擦係数,傷つきやすさなどの評価を行う.押し込み荷重を一定にしてスクラッチ試験を行う方法と押し込み荷重を増加させながらスクラッチ試験を行う方法があり,評価したいパラメーターにより,どちらの方法で試験を行うかを選択する.ナノスクラッチ試験後,試験で発生した痕を光学像観察もしくはSPMイメージングにより表面形状像観察することで変形挙動を考察できる.具体例として,図8にDLCコーティングの表面を一定荷重でナノスクラッチ試験した後のスクラッチ痕の3D画像を示す.スクラッチ痕の深さから傷つきやすさ,またスクラッチ中の水平荷重と垂直荷重からスクラッチ摩擦係数などが評価できる.

3.3 動的ナノインデンテーション
準静的ナノインデンテーション試験の解析手法は材料の変形を弾塑性変形としてモデルが構築されている.そのため,粘弾性(時間依存性)のある試料に対して,測定・解析が困難になるケースがある.その場合,ナノインデンターによるDMA(動的粘弾性評価),動的ナノインデンテーション試験が有効である.具体的には押し込み試験を行いながら,圧子を振動させることで動的粘弾性の評価を行い,貯蔵弾性率(弾性)・損失弾性率(粘性)・tan δ(=損失弾性率/貯蔵弾性率)などの値を算出する.
この手法は試料の機械的特性の深さプロファイルを取得する連続接触剛性法に用いられる.連続接触剛性法の一例として,鋼鉄基材上の厚みの異なるDLCコーティングを評価した結果を図9に示す.DLCコーティングの厚みが薄い試料ほど,下地の影響を受けやすいことがわかる.なお,厚みの薄いコーティングの機械的特性を評価する際には,下地の影響を受けない押し込み深さで評価する必要があるが,どの押し込み深さから下地の影響が生じるかは,コーティング・下地それぞれの機械的特性による.連続接触剛性法はコーティングの機械的特性を評価すると同時に,どの押し込み深さから下地の影響を受けるのかを簡便に確認できる手法である.

また,試料の時間依存性を評価するために周波数を掃引しながら測定する方法にも動的インデンテーションが用いられる.前述の加熱・冷却ステージを用いることで,試料の時間温度依存性も評価できる.一例として,ポリカーボネートを加熱しながら,複数の周波数で動的粘弾性を評価し,貯蔵弾性率(Storage Modulus,E’),損失弾性率(Loss Modulus,E”),tan δの値を算出した結果を図10に示す.材料特性の大きく変わるガラス転移点近傍で貯蔵弾性率の値が減少し,tan δの値がピークをとることが確認できた.また,測定時の周波数が高いほど,tan δのピークの温度も高くなっていた.このことは高周波数であるほど,低温に相当するという,時間と温度の換算則により説明できる.

3.4 高速マッピング技術
Hysitron TI 990 TriboIndenterでは1秒間で最大12点の準静的ナノインデンテーション試験が可能となっている.保存できる測定データ量は無制限であるため,一度に多点の測定・解析を行い,得られた結果を一目で理解しやすいマッピング像として容易に出力できる.図11にセラミックス複合材の弾性率マッピング結果とヒストグラムを示す.なお,この図では400点のデータを約100秒で取得している.また,測定結果にバラツキのある試料に対して,多点測定を行うことで統計的データ解析する用途にも使用される.

4.おわりに
ナノインデンターの構造や評価手法,その評価事例を紹介した.なお,本稿ではブルカーの最新機種であるHysitron TI 990 TriboIndenterを用いてナノインデンターについて紹介したが,他にも図12に示すように卓上タイプを含む様々なナノインデンターがラインナップされており,ニーズに合わせて選ぶことができる.これらのナノインデンター装置およびその評価技術は幅広い材料,幅広い用途(材料開発・プロセス開発・品質管理など)に適用可能である.本稿ならびにナノインデンターの評価技術が読者各位の業務の一助となれば幸甚である.
