ナノサイズ二硫化モリブデンを添加剤として用いた固体被膜潤滑剤の特性 | ジュンツウネット21

アーステック
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DIC株式会社
R&D統括本部 グローバルイノベーションセンター
ESIグループ
Siti Masturah,小寺 史晃,袁 建軍,宮脇 敦久  2025/6

はじめに

カーボンニュートラル実現に向けて,自動車業界をはじめとする産業界の様々な機器の摺動部材のエネルギー効率化および長寿命化が求められている.エネルギーロスと部材の長寿命化の障害となるのは摩擦と摩耗であり,これらの抑制に重要な役割を果たすのは潤滑剤である.潤滑剤には液体の潤滑油,半固体のグリース,固体のコーティングなど用途に応じた様々な形態がある.固体潤滑剤は高温・真空環境などの過酷な環境や,潤滑成分による汚染を嫌う用途で広く用いられている.代表的な固体潤滑剤としてグラファイト,二硫化モリブデン,PTFEが挙げられる.

グラファイトや二硫化モリブデンのような無機系の層状固体潤滑剤は,摺動面において劈開して低摩擦が発現する.また,これらの固体潤滑剤は,板状の結晶全体で荷重を支えるため,油やグリースの耐荷重機能を向上させるための添加剤として古くから使用されてきた歴史がある.特に二硫化モリブデンは,耐熱性が高いことに加え,真空状態においても低摩擦を発現できるため,過酷な摺動環境で用いられる.

本稿では,DICで開発した特徴的な形状と結晶構造を持つナノサイズ二硫化モリブデン(DIC-MoS₂)の固体潤滑被膜向け添加剤としての適用について紹介する.

1.DIC-MoS₂について

市販されている二硫化モリブテン(市販MoS₂)は鉱山で採鉱された後,粉砕・分級工程を経て粒子サイズが調整されており,流通品の直径は数µm〜数十µmが一般的である.天然由来の鉱物であるために鉱床由来の不純物を含むことに加え,産地によって夾雑成分が異なるなどの品質上の注意を要する.DICでは独自の無機合成技術を用いて,数百nmの直径を有する二硫化モリブテン(DICMoS₂)を合成する手法を開発した.DICMoS₂は人工的に合成されるため,高純度かつ均質な組成の二硫化モリブデンである.DIC-MoS₂をTEMで観察した結果を図1に示す.DIC-MoS₂は粒子径分布が比較的均一であることが確認できる.視野を拡大した,粒子の正面のTEM観察結果を図2,側面の観察結果を図3に示す.DIC-MoS₂は直径100nm程度で厚みが10nm程度のシート状ナノ粒子であることが確認された.

さらに,X線Rietveld手法で解析すると,DIC-MoS₂は市販Mo₂に比べて特殊な3R結晶構造を多量に含有することがわかった.3R結晶構造は2H結晶構造よりも層間距離が短いため*1,層間斥力が大きくなり,MoS₂の層構造が剥離しやすくなると考えられる.以上から, DICの無機合成技術によって粒子径および結晶構造を制御したDIC-MoS₂は市販MoS₂よりも潤滑性が改善することが期待できる.なお,本報告では粒子径の代理指標として比表面積を用いる.

DIC-MoS<sub>2</sub>のTEMによる分布観察
図1 DIC-MoS₂のTEMによる分布観察
DIC-MoS<sub>2</sub>の正面のTEM観察像
図2 DIC-MoS₂の正面のTEM観察像
DIC-MoS<sub>2</sub>の側面のTEM観察像
図3 DIC-MoS₂の側面のTEM観察像
2.FALEX試験によるDIC-MoS₂を添加剤として用いた固体潤滑被膜のトライボロジー特性評価

市販MoS₂,比表面積の異なる2種類のDIC-MoS₂および市販MoS₂の一部をDICMoS₂に置き換えた(DIC-MoS₂:市販MoS₂=1:4)の5通りの二硫化モリブデン組成物を含んだ固体潤滑被膜を作製し, FALEX試験機で被膜の耐久性を評価した.FALEX試験機は回転するピンをV型の溝を設けたブロック試験片2個で挟み込み,荷重を加えることにより発生する摩擦トルクから固体潤滑被膜の耐久性を四線接触形態で評価する手法である.表1に本試験条件を示す.表2に本試験の耐久性結果を示す.

表1 FALEX試験条件

 FALEX試験条件

表2 FALEX試験による耐久性結果

FALEX試験による耐久性結果
本試験は低速かつ高荷重(高面圧)の条件で二硫化モリブデン含有被膜の寿命(摩擦係数が0.2に達するまでの時間)を評価した.評価中は,時間の経過とともに被膜が徐々に摩耗し,最終的に素材同士の接触(かじり)が生じ,被膜の寿命となる.図4はFALEX試験機の摩擦係数の挙動を示す.初期の段階(1.2kN/180s → 1.8kN/60s →2.6kN/60s)ではどの固体潤滑被膜でも荷重の上昇とともに摩擦係数が0.05から0.03,0.02に徐々に下がる傾向を示し,定常状態を経て最終荷重の765 lbsでは摩擦係数が0.014〜0.015程度に落ち着いた.

DIC-MoS₂(A)とDIC-MoS₂(B)を用いた固体潤滑被膜No.1とNo.2の耐久時間は1,289分および1,194分間となった.これは市販MoS₂を用いた固体潤滑被膜No.5の耐久時間552分の約2倍である.さらに,市販MoS₂の一部をDIC-MoS₂で置き換えた固体潤滑被膜No.3とNo.4でも,No.5と比較して耐久時間が大幅に向上した.DIC-MoS₂は少量を添加するだけでも潤滑被膜に耐久性を付与できることが示唆されている.

DIC-MoS₂の比表面積と耐久時間に着目すると,比表面積が大きい(すなわち粒子径が小さい)No.1が最も潤滑被膜の寿命が長いことがわかる.少量添加の場合でも同様にNo.3の寿命が長い結果が得られた.

 DIC-MoS2を添加した固体潤滑被膜のFALEX試験結果.(i)被膜の摩擦係数,(ii)被膜の耐久時間被膜
図4 DIC-MoS₂を添加した固体潤滑被膜のFALEX試験結果.(i)被膜の摩擦係数,(ii)被膜の耐久時間被膜
この被膜寿命の違いは二つの理由に起因すると考察している(図5)

(1)小粒形であるDIC-MoS₂は,塗膜中に市販MoS₂と同量存在しても,単位体積当たりのMoS₂粒子数が多くなる.そのため,摺動箇所で有効に機能するMoS₂粒子数が多くなり,耐久性が改善した.比表面積が大きくなるにつれて小粒径化して粒子数が多くなると考えられるので,その分潤滑被膜の寿命が改善する傾向にある.

(2)DIC-MoS₂は市販MoS₂と比較して粒子径小さくて沈降しにくく,均一な分布を有するため,摺動界面でのMoS₂被覆率が向上し,被膜の寿命が向上した.

市販MoS<sub>2</sub> のみとDIC-MoS<sub>2</sub> を添加した際の固体潤滑被膜のイメージ
図5 市販MoS₂ のみとDIC-MoS₂を添加した際の固体潤滑被膜のイメージ
3.Ball-on-disk試験によるDIC-MoS₂を添加剤として用いた固体潤滑被膜のトライボロジー特性評価

市販MoS₂,または市販MoS₂の一部をDICMoS₂に置き換えた(DIC-MoS₂:市販MoS2=1:4)5通りの組成の二硫化モリブデンを用いて固体潤滑被膜を作製し, ball-on-disk試験機で被膜の耐久性(摩擦係数が0.3に達するまでの摺動回数)を比較した.本ball-on-disk試験機は球型試験片を固定し,潤滑被膜が塗布された円板状試験片に押し付け,所定の荷重を加えながら円板状試験片を回転させることで摺動させて,潤滑被膜の耐久性を評価する手法である.表3に本試験条件を示す.使用したDIC-MoS₂は高比表面積,低比表面積,高3R結晶含有率,低3R結晶含有率の4種類のサンプルを用いた(表4)

表3 Ball-on-disk試験条件

Ball-on-disk試験条件

表4 Ball-on-disk試験結果

本試験ではそれぞれのMoS₂含有固体潤滑被膜の寿命(被膜が摩耗してかじりが発生し摩擦係数が0.3に達するまでの時間)を評価した.図6にball-on-disk試験によるそれぞれの潤滑被膜の被膜寿命および摩擦係数の挙動を示す.市販MoS₂のみ用いた場合に対し,DIC-MoS₂を少量添加することにより,被膜寿命が約2倍に改善した.

また,DIC-MoS₂の中でも,高比表面積のDIC-MoS₂(C)および3R結晶含有量が多いDIC-MoS₂(E)の寿命が特に長かった(図6).比表面積に関しては前章でも述べた通り,比表面積が大きいほど(すなわち粒子径が小さいほど),塗膜中のMoS₂粒子数が多くなり,被膜の寿命が改善することを示唆する.また,DIC-MoS₂(D)のように比表面積が小さくても3R結晶が多く含まれていると被膜寿命が改善した.これは層間斥力が高い3R結晶を多く含有することにより,潤滑性能が上昇し,被膜の耐久性が改善したことを示唆している.以上の結果から,DIC-MoS₂の粒子径が小さく,3R結晶を多く含有するほど,被膜寿命が改善する傾向を確認できた.

なお,表面の前処理の影響について,リン酸マンガン処理の後に,固体潤滑被膜を塗布すると,リン酸マンガン被膜と固体潤滑被膜の界面で固体潤滑被膜がリン酸マンガンの結晶間に入り込み複合層となる.そのため,固体潤滑被膜と基材の密着性が向上し,固体潤滑剤の性能をさらに発揮できると言われている*2,3.これらを考慮し,DIC-MoS₂の性能を発揮するには,適切な表面処理技術が必要であることが考えられる.

市販MoS2または市販MoS2にDIC-MoS2を添加した固体潤滑被膜のball-on-disk試験結果. (i)摺動回数(被膜寿命),(ii)被膜の摩擦係数
図6 市販MoS₂または市販MoS₂にDIC-MoS₂を添加した固体潤滑被膜のball-on-disk試験結果.
   (i)摺動回数(被膜寿命),(ii)被膜の摩擦係数

まとめ

DIC-MoS₂は特殊なシート形状をしたナノサイズ粒子である.DIC-MoS₂は高純度であることに加え,潤滑性能に有利な3R結晶も多く含まれている.固体潤滑被膜に適用すると,市販MoS₂を用いた固体潤滑被膜と比較して塗膜寿命が改善するとともに,市販MoS₂に少量のDIC-MoS₂を添加しても,単独使用時と同様に塗膜の長寿命化が確認された.DIC-MoS₂は小粒子径のために市販MoS₂と同じ分量でも塗膜の単位体積当たりの粒子数が多くなることに加え,層間剝離しやすい3R結晶を含むため潤滑性能が改善して被膜の耐久性が向上したと考察している.

おわりに

本稿では特集の趣旨に添わないために割愛したが,これまでのアプリケーション探索の中で,コンパウンド,グリースやエンジンオイルといった用途でもDIC-MoS₂の添加による低摩擦性や耐摩耗性付与が確認されている.DIC-MoS₂の潤滑メカニズムの解明と展開用途拡大に向けた検証を今後も継続的に行う予定である.

本稿は2022年11月のトライボロジー会議2022秋福井,2023年9月の9th International Tribology Conference 2023 Fukuoka,2024年5月のトライボロジー会議2024春東京,2025年5月のトライボロジー会議2025春東京にて発表した内容に一部加筆修正して執筆した.

謝辞
本稿の研究成果は株式会社川邑研究所にてご評価いただき,心より深く感謝申し上げます.

<参考文献>
*1 J. Baren, et al., Stacking-dependent interlayer phonons in 3R and 2H MoS2 , 2D Mater., 6(2019) 025022.
*2 川邑正広;表面技術,65(12)(2014)591-594.
*3 中山隆臣;表面技術,64(12)(2013)640-644.


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